教育セラピーを受けて(2012年10月)
2012 / 10 / 01 ( Mon ) 昨年の秋から続けてきた教育セラピーは、約1年が経過しました。
今回、受けさせていただいた先生のセッションも、今日で終結となりました。 今日は、日ごろ、疑問に思っていた基本的なことを聞いてみました。 先生にとって傾聴とは? カウンセリングの中でありのままの自分でいられるとは? 「他の先生は、違うことを話すかもしれないが」と前置きして、先生は語られました。 相手のことを理解しようと、相手の枠組みで考えていると、 自分の中に、自分なりの考えや思いが浮かんでる。 でも、それは、そのままにしておくのです。 そうして相手の傍にいて、しばらく経つと、 自分の枠が外れるときがある。 それは、決して枠を外そうとするものではない。 そして、自分が“無”になっていくのを感じていく。 そんな自分を感じながら、自分の奥深いところから出てくるものがある。 それが本当の“共感”と言えるもの。 その“共感”を相手に伝えていくのです。 これを伺ったとき、とても深いものなんだぁと思いました。 ありのままの自分、自己一致するというのは、たいそう難しいもののように思えました。 そして、先生は「自分の中にあるものを感じながら、同時に傾聴する」と話されました。 専門用語を使えば、インタラクティブリスニング&フォーカシングということになるようです。 私はボランティアで傾聴をしていますが、 先生のお話を伺って、 表面的なことしか、相手の方とやり取りをしていないように思います。 もちろん、それは自分自分ですが、より相手に近づくためには自分の内面にぐっと入り込んでいく必要があるということですね。 私が尊敬している方のひとりにマザーテレサがいますが、 先生のお話を伺って、彼女が残してくれた言葉を思い出しました。 大切なのは、 どれだけたくさんのことをしたかではなく どれだけ心をこめたかです。 (マザーテレサ) 私も、自分の心の奥にあるハートにつながれるよう、日々の生活の中で意識したいと思います。 みなさんも、自分のハートに繋がり、自分にやさしくなり、そして、他の人ともハートで繋がれるよう意識してみませんか? スポンサーサイト
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教育セラピーを受けて(2012年6月)
2012 / 06 / 29 ( Fri ) 今週は、教育セラピーを受けてきました。前回のセラピーが1ヶ月半程前でしたので、少し期間が開いてしまいました。
今回取り上げたテーマは、コフートの自己心理学から見た私自身のあり方です。 コフートは、精神分析の流れを汲んだ自己心理学という理論を述べた人です。人間の発達・成熟は一生涯に渡って続いていくプロセスであるという立場をとり、人間には3つの大切な欲求があることを述べています。その3つの欲求とは、次のものです。 一つ目は、無条件に受け入れられたいという欲求(誇大顕示的欲求)。 二つ目は、特定の他者を理想とし、その人になりたいという欲求(理想化欲求)。 三つ目は、共同社会の一員として、他者と同様な資質でありたいという欲求(双子・修整的自我欲求)。 さて、この3つの欲求から私の内面を見てみると、比較的、誇大顕示的欲求が強そうです。仮に欲求全体を10としたら、誇大顕示的欲求:理想化欲求:双子・修整的自我欲求=5:3:2ぐらいになりそうです。 しかし、不思議なことに、今回の教育セラピーの場で内面を感じてみると、これらの欲求が湧いてこないことがわかりました。 この点について内面を掘ってみたのですが、教育セラピーの場では、等身大の自分、ありのままの自分でいられることがその要因に思えました。周りから要求されることも、過度に期待されることもなく、自分の姿を出しても良い安全な空間・・・。それだからこそ、欲求が刺激される必要もなく、湧いてこないようです。 もちろん、これは私の場合です。他の人の場合には異なるかもしれません。普段の人間関係のあり方が、カウンセリングの場で再現されることも多分にあります。そして、普段持っている欲求が、カウンセリングの場で強く出てくることもあります。それだからこそ、カウンセリングが効果的に働くという見方も出来ます。 どちらにしても、今回の教育セラピーでは、自分自身になること、ありのままの自分でいられることが、どんなに楽な状態なのかを知ったセラピーでした。そして、無防備でいられる安全で安心できる空間、そんな場がカウンセリングには必要ということを身に染みて実感したセラピーでした。 |
教育セラピーを受けて―補足
2012 / 06 / 13 ( Wed ) カウンセリングの話題として、傾聴というものが取り上げられることがあります。
カウンセラーからすると傾聴、相談者からすると自分について語ることは、2つの目的があると思います。このことが何かの本に書かれていたのは記憶していますが、著書の題名は忘れてしまいました。 まず、一つ目の目的は、相談者が置かれた状況をカウンセラーに理解してもらうために、説明することです。その典型が、相談者が、初回面接で、悩みや、育ってきた状況、家族の歴史を、カウンセラーに説明することです。 この目的は、気づきを得たり又は何かが変わるという目的ではなく、カウンセラーと相談者が相談者の状況を共有するためです。 そして、もう一つの目的は、相談者が過去から現在までの自己の物語やその時々の内面を、“今、ここで”語ることによって、自分の物語と向かい合っていくことです。その過程で、時には気づきを得たり、過去への癒しが起きたりします。 この場合、カウンセラーは、相談者が自分の物語を語り過去と向かい合っている状況に、心を傾け聴き、今この場と時間を共有しながら、相談者に立ち会うことになります。そして、相談者は自分を語ることが中心となります。 この二つ目の目的の場合、カウンセラーに何かをしてもらうという意識で相談者が語っていると、何も起きない可能性が多いにあります。 傾聴や語ることを中心にカウンセリングを行う場合、何のための傾聴・語りなのかを理解して、カウンセリングに取り組んでいく必要があると思います。 |
教育セラピーを受けて(2012年5月)2
2012 / 06 / 04 ( Mon ) 前回のブログに書いた『来談者中心療法』という本を読み進めていくと、ロジャースが考えていた一番大切なことが出てきます。
それは、決して技法的なものではありません。掲本には、明確に「ロジャースは純粋性をもっとも重視した」と書かれています。そして、次のように解説があります。 「ロジャースのカウンセリングは・・・人間の本性を主体としているだけに・・・自己一致、純粋性、真実性というようなカウンセラーの態度の一貫性を強調した。この三者はほぼ同じような意味であるが、できるだけカウンセラーの心が自然に開かれている必要性を示している。」 人と人とが出会うということについて、平たく言えば裏表のないあり方、言い換えればオープンマインドのあり方を目指しているものと言えると思います。同時に、自分のハートからの思いで相手と関わることの大切さを伝えているようにも思います。 カウンセリングの場では、カウンセラーと相談者という関係があります。しかし、その関係を超えて人と人が出会うという基本的なあり方を、ロジャースは伝えているように思います。そして、そのあり方は、カウンセリング以外の場でも大切なものです。 このようなあり方を、教育セラピーを受けながら、M先生から教えていただいております。もちろん言葉によって説明を受けるわけではなく、M先生の態度やあり方から伝わってくるものを受け取る中で教えていただいているものです。 カウンセリングは、相談者と向かい合いますが、同時にカウンセラー自身が自分と向かい合うということです。 いくら学んでも自分の未熟さを感じつつ、それでも、成長していくことは諦めずに目指していきたいと思っています。 等身大の自分を受け止めながら、過剰な防衛にならず、自分と他人と向かい合い、成功からも失敗からも同じように学び、成長していく。そんなあり方を相談者と一緒にできることを願いつつ、私自身教育セラピーを受けている日々です。 参考資料: 東山紘久編(2003)、心理療法プリマーズ 来談者中心療法、ミネルヴァ書房 |
教育セラピーを受けて(2012年5月)
2012 / 05 / 25 ( Fri ) 普段はカウンセラー(心理職)をしていますが、その一方で、今、ひとりのクライアントとしてカウンセリングを受けています。
カウンセリングを学び始めた最初の頃に何度か受けたことがありましたが、それ以来ですので久しぶりのクライアント経験です。今回は、昨年の秋ごろから、月1回のペースで受けています。 基本に立ち返ろうと思い、カウンセラーであれば一度は学ぶことがあるロジャーズの来談者中心療法の先生にカウンセリングを受けています。その先生は、ロジャーズやトランスパーソナル心理学では、有名なM先生です。 その先生との関わりの中で、相談者に関わるという基本的なことを、もう一度、学ばさせていただいているように思います。そして、今だからこそ、以前は見えなかったものが見えてきているとも言えるかもしれません。 そのことを一言で言えれば、人と人とが出会うということ。 M先生は、決して多くを語らない。しかし、心の奥から出てくる本当の言葉を伝えてくださる。決して技法的ではなく、誠実性とも言えるかかわり方です。 そういえば、以前、読んだ『来談者中心療法』という本の中に、M先生のような関わり方が書かれていました。 少し抜粋して見ます。 ・ロジャーズの応答は、言葉ではなく、ロジャーズその人の持つ雰囲気なのである。 ・中核をなす人間尊重と対等感と人格変容の可能性を信じる姿勢・・・ ・ロジャーズに教えられたことは、人間性であり、ハートであった。 ・セラピストは、禅の老子と同じように自分自身の人格を鍛える必要がある。来談者中心療法を支えるものは、セラピストの人格なのである。 これらの内容を見ても、来談者中心療法に求められるカウンセラーのあり方は、人間そのもののあり方を求められているように思えてきます。 (続く) 参考資料: 東山紘久編(2003)、心理療法プリマーズ 来談者中心療法、ミネルヴァ書房 |
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